時間が教えてくれること

 

 

こんばんは。お久しぶりですね。

 

なんだか文章を書くことは、やっぱり僕の中で少しハードルが高くなってしまっているのだなと実感します。

 

今回は前沼のお話です。

 

 

 

 

 


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僕にとって、人生を変えたといっても過言ではない作品があります。

 

そしてその作品を通して知り合った人たちもまた、僕の人生を変えた人たちです。

 

 

 

 

 

すべては僕が18歳の話なので、もう8年以上前の話。会社の同期より、なんなら大学の同期より長い付き合い。

そして中高の同期よりも短いのに、深い付き合いとなっています。

 

 

 

 

 

タイが同じようにそうなればいいなと思いながら、今日も推しを愛でる毎日です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文字数が全然足らんな……………。

 

言いたいことはいっぱいあるのだけれど、まとめられん。

 

しばらく前沼の話続くかもしれないです。

僕は恋愛ベタだから

 

 

 

僕は今年27になるアラサーだが、このままだと20代が恋人居たことないで終わってしまう。

 

 


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恋愛ベタなのは自覚しているがどうも上手くいかない。

いくつか理由を考えた。

 

 

 

①自信がない

これはもう圧倒的に自分に自信がない。

自分の容姿、体型、性格、頭脳、体力…………。

 

 

②自分の気持ちに鈍感

自分が好きという感情を抱いているのかよく分からない。

後になってから、よくよく考えたら好きだったのかもしれない、と思うことがしばしばある。

 

 

③性格上の問題

追っかけられると引いてしまうし、追ったとして反応がなければ冷めてしまう。

 

 

 

 

 

こんなとこだろうか。

 

2020年、恋人はできなくてもいいから、上記の改善を図る年にしたい。

言葉の力

 

 

僕は日本人で日本語を話す人間だ。

 

 

 

私達はつい、同じ日本語を話す相手が言うことは100%理解できたと思いがちな気がする。

 

だから衝突が起こる。相手が言いたいことをすべて理解したと思いがちだから。

 

 

言葉には絶対に思想が入る。それは文章として現れない。

自分が受け取った言葉は、自分の思想が入った状態で受け取っている。相手の思想とは関係なく。

 

 

そういう事案を見るととても胸が痛くなる。

自分が正しいと胸を張って言える人間なのだからよっぽど自信があるのだろう。

それは個人の勝手だが、それゆえに他人を罵倒したり非難するのは本当に悲しい。

 

 

発言者は意図してない言葉が、ナイフとなって襲いかかる。

その怖さを言葉を使う人間として自覚しなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は青春時代の大半をそういう言葉に悩まされながら生きてきた。

今思えばしょうもない話だが、幾度となく消えたいなと思ったことを覚えている。

そして発言した人はおそらく何も覚えていないはずだ。そういう言葉を発していた自覚はないはずだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから人と話すのは怖い。

自分も、その憎き自覚のない発言者になっているかもしれないのだ。

そうやって自己肯定感は削れていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、人を救うのも言葉だと最近は感じている。

 

悩んだとき、落ち込んだとき、病んでいるとき、消えたいとき、言葉によって支えられ、生きる希望をもらい、明日を頑張る気持ちにさせられた。

 

 

 

「使い方」が上手い人を見ると、本当に尊敬する。

どうやったらそういう人間になれるのだろう。

 

 

 

そう思いながら、僕も誰かのプラスになれるよう、日々意識していきたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんはどう感じましたか。

背伸び

 

 

 

僕は常に「大人」に憧れて

 

「大人」になりたくて

 

背伸びをしている

 

 


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いつか胸を張れるような

 

大人の男性になりたい

 

 

 

 

そう思いながら

 

今日も背伸びをするのである

 

 

ひとりで生きていたならば

 

 

 

ひとつひとつの言葉が胸を刺してくる。

詞に、曲に、なによりMCに何度涙を流したことだろう。

 

 

「あなた」にも届いてほしいから。

是非聞いてください。

僕が胸を張って1番大好きだと言えるバンドです。

 

 

 

 


https://youtu.be/aU3AHvbBX2c

 

 

 

 

MVはこちら。


https://youtu.be/mipJGUpG1xI

 

 

 

 

ひとりで生きていたと思っていたあの頃も、きっとひとりで生きていなかったはずだから。

 

セクシャリティの話

 

 

 

こんばんは。なりとです。

 

仕事が終わるのが遅くなると、もう何も頭が回らず虚無になりながら帰宅することになりますよね。

 

 

 

そんなことは置いておいて、沼落ちの前に書いておきたいことがありました。

セクシャリティの話です。

LGBTやらLGBTQやらLGBTQIA+やら、見たことある方は多いかなと思います。

 

 

 

BLにハマったからというのもありますが、私は自分のセクシャリティに悩むようになります。

 

ストレートかと聞かれたら、確実にNOです。

ゲイかと聞かれたら、たぶんNOです。

バイかと聞かれたら、まあそんな感じかなと答えるでしょう。

 

 

たぶん自分は特殊なタイプの人間です。ここでは言えない。

型にハマるのが嫌というかなんというか。

たぶん近いのはパンセクシャルかなと思ってます。

意味が分からなければ調べてください。

 

 

そうやって、性的指向も数え切れないほどあるのに、自分を定義するのは馬鹿らしいなと思って、最近は考えないようになりました。

 

 

 

 

そうやって自分というものを考えるようになった1つの要因にはなります。

割とメンヘラなタイプなので。

自分が嫌いでどうしようもなかったあの頃が懐かしく感じるくらいには、今は楽しく生きてます。

 

そもそもの話

 

 

 

こんばんは。なりとです。

 

 

このままだと危うく何も書かなくなりそうで、

日記レベルでもいいから頻繁に書いていこうかなと思います。

 

 

 

 

私は性別は男ですし性自認も男性ですが、BLが好きです。

そこでたまに考えることがあります。

「何をきっかけにBLを好きになったか」

 

 

記憶を遡ればたぶん中学生。

親に買ってもらったケータイで、ケータイ小説を漁っていたからという見解。(2020/6/24現在)

そもそも僕は友達が居なく、学校では虐められており、本が友達みたいな感じだったので。

中高はお小遣いをほぼ文庫本やらに捧げていた。

文字に飢えていたんだと思う。

 

 

どういうきっかけでBLのページ見始めたのかは覚えてないけど、素人が書いた小説のはずなのに、ストーリーがめちゃめちゃ良いのが沢山あって、どんどんハマっていった記憶がある。

(基本はストーリー重視モノに弱い。もちろんエロに振り切ったBLも好きだが。)

 

 

あの頃の方がまともに言葉が使えていたのでは?という危惧もあり、ブログを始めた次第である。

なんでもいいのでアウトプットをしていかないと、まじで人間として終わってない?っていう。

 

 

 

 

そしていま現在、当時とは状況は変わった中で、とあることをきっかけにタイBLにハマるのである。

それはまた次回。

拙い文章ですが、ここまで読んでいただいてありがとうございます。